亜ヒャブログ

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『恵まれている』と闘う

一晩寝たら良くなったので普通通り会社に行ったら私より体調の悪い人が散見されていました。理由はそれぞれですがみんな忙しいここ数ヶ月。

 

『恵まれている』についての議論が少し前にネットでありました。このことばを聞くと決まって思い出すのは読書感想文です。中学生の頃までは感想文の宿題を提出する前に母のチェックがあり、その中でも障害のある人の手記や闘病記について感想を書くときには必ず「私にも障害がありますが、○○さん(著者)より恵まれています」と書くように仕向けられました。結びはもちろん「頑張りたいと思います」的な感じでした。怒られたくないので言われるまま書いて提出しましたが、結構もやもやしていました。

例えば、本の著者が私と違うところに障害をもっていたとします。その人はその部分では苦労したり不便に感じることがあるかもしれないけれど、一方でもし歩けたり普通の背丈からの視線でものを見たり、あるいはお互いに尊重し合える家族がいたりしたら、私は純粋に羨ましいしむしろその人のほうが恵まれていると思ったりすることもあります。一概に私のほうが恵まれているなんて誰も決められないのに、母に勝手に決められて、しかもそれを自分の意思として提出して先生に読まれなければならない。障害のある人の手記は、彼らがどんな風に工夫して生活しているかを知る点においてとても参考になるものですが、それを使って自分を『恵まれている』という解釈にもっていくような母の考え方にはおよそ納得がいきませんでした。

 

今でもたまに「亜ヒャさんは恵まれているね」と言われると、たとえ他意がなくてもその裏に「恵まれているんだからもっと頑張らないと」「努力が足りないね」ということばが透けて見えるような気がしてあまり良い気はしないのですが、説明すると長くなるので反論するようなことはしていません。ただ、『恵まれている』と自分で思う分にはいいけれど、他人に自分の尺度で「恵まれているんだからもっと頑張れ」と言う人にはなりたくないなあと思っています。