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亜ヒャブログ

北関東・会社員・車いすユーザー・生活・考えたこと

これはひどい

と聞いてニャンちゅうの卵かけごはん事件を連想できる人の年代も徐々に上がってきているのかしら。

 

変顔やすっぴん、「醜ければ醜いほどいい」──米国ティーンを席巻する“自分撮り” - ITmedia ニュース

 

概要文の「すべての女の子は“pretty”なので決してビフォーがかわいくなくても大丈夫」というところからまず疑ってかかってしまいます。どこが大丈夫なんじゃと。

 

小学校に上がる前から自分の体が他の子と違うことを自覚していたのと、「もしスカートがめくれたら大変」というよくわからない理由で冠婚葬祭とピアノの発表会以外はなかなかスカートをはかせてもらえず、大概親が買ってきた機能性最優先のズボンやトレーナーをコーディネート完全無視で着せられていたこともあり、自分はいわゆる『可愛い』とはかけ離れた場所にいると思ってずっと過ごしてきました。だからといって、自分が可愛くないことを笑い飛ばすようなマインドセットもありませんでした。また、『卒業』のお題に書いた先輩の話が実家で出たとき、「そんなにすごい人があんたの相手をしてくれるの?」と祖母に驚かれ、家族からも女性として価値が低いと思われていたことに二の句が継げなかった記憶があります。

 

そういうわけで自分が可愛いと思ったことはほぼありませんが、自分に似合うものを選ぶことはだんだんできるようになってきました。あとは、障害や体型に関する悩みやネタを口にすることへの抵抗が以前よりも減ってきました。

後輩A「膝をついてプロポーズされるシチュエーションって憧れますよね」

私「男の人に膝をつかれても絶対私の方が目線低いんだけどどうすればいいんだろう…土下座か!」

後輩B「そうだ、亜ヒャさんがどこか高いところに登ればいいんですよ」

私「!」

 

作られた美しさとかは特にどうでもいいし、それに反抗する気もないけれど、醜ければ醜いほどいいというのも極論過ぎる気がします。あと、楽しい自撮りの方法を後輩に教わろうと思います。