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亜ヒャブログ

北関東・会社員・車いすユーザー・生活・考えたこと

「大変だからいいよね」と闘う

私が闘っていることばの一つです。

 

これは主に母から発せられるものでした。「大変だから(やらなくて)いいよね」。周囲がやることと私が同じことをしたいけど難しい(と母が判断した)ときに使われることばでした。

雨の日の外出、遠足に歩いて行く、修学旅行でみんなでお風呂に入る、法事の墓参り、移動教室を必要とする授業、ビュッフェで食べ物を取りに行く、など。

そのことばの背景は察して余りあります。私が周囲と同じことをしようとすると主に母に更なる物理的サポートを依頼することになるし、同じことをするために別の手段を考えなければならない。母にとっては明らかにイレギュラーな負担であり、大変です。母はすべて自分が考えた通りにスムーズに事が運ばないと気が済まないので、それを私に遠回しに伝え刷り込むことによって、私自身がそれらをやりたくないと思わせるようにしたかったのだと思います。

雨の日の外出は必要最低限。遠足には母の運転する車で行き、後日の作文には「絶対に『車で行った』なんて書かないように。お弁当を開けるところから書き出すように」と釘を刺されました。修学旅行のお風呂は二日間ともパス。法事の墓参りは私だけ家で待機。移動教室を伴う授業を最低限にするために、取りたかった地学と地理を切りました。ビュッフェはみんなの荷物番という役目はあったもののいつも待機。

小学校低学年のうちは「他の人と同じようにやりたい」とごねていた私も、母の「大変だから」を聞き、いやいやながらも母の機嫌を損ねないよう受け入れているうちに、イレギュラーなことに対応するのがだんだん億劫になっていきました。とりあえず嫌な顔をされないように、決められたことだけきちんとこなして日々を過ごしていました。

 

それでもそんな日々で一生を終わるわけにはいかないという気持ちだけは変わらず、どうにかして実家を出たものの、大学に入っても何かイレギュラーなことに出くわしたときにまず最初に脳内をよぎるのは「大変だからやらなくていいかな」ということばでした。それでも、自分でやってみたり周囲のサポートもあって結果的に自分でできたこともあります。もちろん、及び腰になって自分でやらなかったこともあります。むしろ後者の方が多いです。未だにビュッフェで上手に食べ物を選んで取るのに難儀しています。

 

職場では仕事上の条件は他の人と大きく違うところはありません。だからもう大変だからもへったくれもないのですが、10年以上も働いていながらやっぱりイレギュラーな事態には弱いです。及び腰になることの何と多いことか。

明日から一週間は月末で仕事の山場です。「大変だから」が脳内をよぎったら好きな名言を思い出して薙ぎ払っていく予定です。『常に余裕をもって優雅たれ』とか『我心開放』とか。