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親戚のおじさん

『親戚のおじさん』の話はそろそろ下火になったでしょうか。私の知る限りの親戚のおじさんたちは言っていいこと悪いことをそこそこ心得ている気がします。 

 

むしろ面倒なのは親戚のおばさんのほうで。父方にも母方にも一人ずつ宗教に夢中なおばさんがいました。

これまでいろんな宗教の信者と会ったことがあるし、個人的には彼女たちが信仰しているものを否定するつもりはありません。おばさんAは冠婚葬祭で顔を合わせるくらいで、「私はこれを信じたおかげでとても気持ちが楽になった」と話してくるレベルなので問題なく付き合えるのですが、おばさんBのほうは他人を否定した上常識を超えてくるタイプでした。

 

まだ私が実家にいた頃のある夜、近所に住むおばさんBは夫(自分が運転できないので彼はドライバー)を伴って挨拶もなく実家に上がり込み、居間にいた祖母をつかまえて「教祖が夢枕に出てきて近々こんな天災が起きると言っていた。教祖のお告げは絶対。他のことは信じてはいけない。この本に書いてあることに従って云々」と説き伏せようとしました。そのときほど田舎の鍵をかけない習慣を恨んだことはありません。

家族は当時何をしていたか。受験を控えて勉強中だった私はドア越しに聞こえるおばさんBの甲高い声に怯えて何もできず自室で震えていました。他の家族はまだ外出していたか寝ていたか寝たふりをしていたかわかりません。

根が素直な祖母はおばさんBの話を最後まで聞いてしまい、もらった本を読み始めました。それらは間もなく事情を知った母によって返却され、私も何年か後に勇気を振り絞って「うちにはうちの大事なものがある」という主旨の手紙を送りつけ、その後おばさんBから形式上謝罪のことばはあったものの、実家内の不安定な状態は相当の間続きました。

私を含め、家族のメンバーとしての個々人が精神的に幼かったため、助け合って危機を乗り越える意識に欠けていたと言ってしまえばそれまでですが、15年ほど経った今思い出しても苦しい記憶です。そして、「(相手も)後悔しているんじゃないでしょうか」とはとても思えない現実。